相模陸軍飛行場 (中津飛行場通信室)

本社敷地内に現存する戦争遺跡です

当社のある内陸工業団地は、中津飛行場と呼ばれる陸軍の飛行場でした。

太平洋戦争が始まる少し前昭和15年12月、218万㎡を陸軍が飛行場に開発し、熊谷陸軍飛行学校中津分教場として開設されました。

その後熊谷陸軍飛行場相模分教所として連日のように「九五式中間練習機(通称『赤とんぼ』」で戦闘機乗りを育成していたそうです。

昭和17年には戦闘機が配備され出撃基地化、昭和19年7月20日 飛行学校が閉鎖されます。戦闘機の基地となりました。

陸軍でも屈指の戦闘力を誇る四式戦「疾風」が配備された初の実戦基地であったそうです。

当社の敷地内には、この陸軍中津飛行場の通信室が当時のまま現存しております。